遠呂智軍の捕虜になった周瑜は、太史慈、呂蒙と共に地下牢に捕らわれていた。
呉軍は孫堅を人質に取られ、遠呂智の属国になり、孫策が軍をまとめているという。
弱みを握られ従わされているという状況は、孫策にとって耐えがたいものであるに違いない。
その心中を慮ると、居ても立ってもいられない。
孫策がその憤りをぶつけることができて、それを宥めることもできる相手は限られている。
こんな時こそ、私が側にあって孫策を支えねばならないのに。
側に居るどころか、孫策の弱みの一端となってしまっている。
しかし、囚われの孫堅のことを考えると、孫策の下に駆けつけたいと逸る心を抑え込むしかなかった。
”下手な行動を起こすと、お前達の主に咎が及ぶと思え”
遠呂智にそう脅された。
その言葉に太史慈、呂蒙はうろたえていたが、周瑜は始め意に介さなかった。
孫堅は呉軍を従わせるための大事な人質である。
例え遠呂智といえども、簡単に傷つけることはできないはず。
脅しに屈するものかと睨み上げた周瑜をあざ笑うように、遠呂智は周瑜だけに聞こえるように言った。
”反抗的で嬉しいぞ。孫堅を苛む口実を我に与えるか?”
遠呂智の口元には抑えきれない愉悦が浮かび、その双眸は禍々しく光っていた。
何度か逃亡を試みようとしたが、その度にあのときの遠呂智がちらついた。
結局、実行に移せないまま時が経った。
そして今、再び周瑜の目の前に現れた遠呂智は、その左腕に孫堅を伴っていた。
「「「大殿!!」」」
「周瑜、太史慈、呂蒙、無事でなによりだ!!」
孫堅が無邪気にも見える笑みを浮かべて、我らに近寄る。
その笑顔に曇りはなく、我らを安心させるには十分だった。
ズズッ、ズズッと隣から鼻をすする音が聞こえる。
呂蒙が目を真っ赤にして、頬を涙で濡らしていた。
孫堅が牢の格子越しに、呂蒙に手を伸ばし、その涙を拭おうとした時、
遠呂智が孫堅の後襟を掴み、格子から引き離した。
その拍子に衣服が乱れ、一瞬露わになった孫堅の肌に周瑜の視線は釘付けになった。
「遠呂智!!いきなり、引っ張るな!!」
一応抗議はしたものの、遠呂智に従って牢の格子から距離をとった孫堅が乱れた襟元を直す。
その様子を呆然と見つめていると、孫堅が周瑜の視線に気づいた。
孫堅は襟元をギュッと握りしめたあと、すっと周瑜から視線を外した。
その瞬間、自分の見たものが見間違えでは無いことを悟った。
孫堅の首筋から胸元にかけて散っていた、赤い情事の痕。
そして、それを付けた相手は遠呂智に違いない。
傍らに立つ孫堅の腰を、遠呂智の左腕が引き寄せる。
その唇を孫堅の耳に寄せ、なにごとか囁いているよう。
孫堅にふれる手も、絡みつく執拗な視線も全てが不快だ。
遠呂智め!!遠呂智め!!遠呂智め!!!!
我らが大殿に、汚い手で触れるな!!
どんな口実をでっち上げて、大殿を苛む理由としたか!!
ふつふつと遠呂智に対する怨嗟の念が沸き上がる。
「ならば、周瑜を。」
周瑜が暗い瞳で、遠呂智と孫堅を見つめていると、いきなり名を呼ばれた。
話しの流れは分からないが、孫堅が遠呂智の問いに対して答えたようだ。
再び、遠呂智が孫堅の耳元に唇を寄せている。
「息子の短慮を抑えられるのは、他にいないからな。」
孫堅の声は聞こえるが、遠呂智は相変わらず孫堅だけに囁いているようで声が届いてこない。
しかし、孫堅の答えだけでも話の流れを推測することは可能だった。
どうやら、私は近々解放される予定らしい。
孫策が感情に任せて行動しようとした時に、抑えることを期待されているらしい。
ああ、でも私はその期待にこたえることができないだろう。
敬愛する孫堅に対しての、無遠慮な遠呂智の振る舞いを目の当たりにして、私自身が激情を止めるのすら困難。
孫策の我慢が限界に来た時には、その激情に迎合してしまいそうな予感がした。