呉軍は伏兵による混乱に乗じて、一丸となって敵大将を目指した。
しかし、敵兵は一兵卒にいたるまで、通常の人の数倍の防御力を誇っていた。
倒すのに手間取る敵が、数に任せて殺到してくる。
特に、道を切り開いていく先鋒における被害は甚大で、敵大将に迫る頃には、
呂蒙、太史慈、そして周瑜までもが敵に捕縛されてしまっていた。
今は、孫策と孫堅自らが先頭に立って敵をなぎ倒して進んでいる。
敵大将までは、あと一歩。
しかしながら、もう既に後方からも敵が包囲しており、退路がなくなった。
敵大将を討ち取るのが先か、圧倒的多数の敵兵に押しつぶされるのが先か、時間との勝負となる。
そして、全軍が押しつぶされる前に、なんとか敵大将と対峙することが叶った。
敵大将は、配下の兵士たちと同様に青灰色の肌をした大男で、大鎌を武器としていた。
孫堅と孫策の姿を認めると、敵大将の目が妖しく光る。
まずは、敵大将に孫策が果敢に挑み掛ったが、大鎌で軽く払いのけられる。
その隙を狙って、孫堅が斬りかかる。
しかし、敵大将は大きな身体に似合わぬ敏捷さをみせ、首を貫くはずだった孫堅の剣は敵大将の頬を浅く傷つけただけだった。
「ほう。面白い。」
敵大将は傷から流れる血を指で拭うと、その血を舌で舐めとった。
孫堅を左右の色が違う双眸に写し、妖しく笑う。
そして、強力なチャージ攻撃で、孫策を周囲を固める青灰色の軍団の中に弾き飛ばすと、
孫堅だけに狙いを定め、立て続けに大鎌を振るった。
次々に繰り出される攻撃を、孫堅は速さを生かして避ける。
しかし、避けきれぬ一撃を受け止めた拍子に、剣が弾き飛ばされた。
丸腰になった孫堅に向かって、敵大将はもう一度容赦なく大鎌を振るう。
バランスを崩した孫堅に一気に間合いを詰めると、敵大将は大鎌の柄で孫堅を殴り倒した。
大きな足で孫堅の胸を踏みつけ、首に大鎌を突き付ける。
「親父ぃ〜〜!!」
孫策の悲痛な叫び声が響き、それに気付いた呉軍に動揺が走った。
敵大将は、ぐるりと周囲を見渡すと、地に響くような声で命じた。
「攻撃を中止せよ。」
その命に応じて、青灰色の軍団の攻撃手が止み、呉軍と一定の間隔をおいて対峙した。
敵大将はその様を確認すると、再びその双眸に孫堅を写す。
「お前が、江東の虎・孫堅か?」
「そうだ。お前は?」
「我は、魔王・遠呂智。クックク、気に入ったぞ孫堅。お前が我に下るなら、命は助けてやろう。」
孫堅は、楽しげに自分を見下ろす遠呂智を、睨み上げた。
ギリギリと踏みつけられている胸は肋骨が折れてしまうのではないかというほど痛み、息をするのも困難だ。
でも、このような状況だからこそ、絶対に弱味を見せるわけにはいかない。
圧倒的多数の敵に包み込むように包囲され、敵が攻撃の手を止めない限り、呉軍に待っているのは全滅だ。
でも、降伏することで保障されるのが、自分の命だけでは足りない。
捕虜になった者も含めて、呉軍全員を助けなければ意味がない。
遠呂智が俺を気に入って、手に入れたいというのなら、存分に高く売りつけてやらねば。
「嫌だと言ったら?」
遠呂智は、直ぐには屈しようとはしない孫堅の虚勢を鼻で笑うと、
孫堅の首に突き付けていた大鎌を動かし、首筋に浅く傷を付ける。
そして、まがまがしく口元を歪めて言った。
「お前の首を落とした後に、呉軍を一兵も逃さず、縊り殺してやろう。」
孫堅は遠呂智が発するまがまがしい気を静かに受け止めると、淡々と尋ねる。
「下ればどうなる?」
「孫堅。お前の身柄一つで、あの兵達の命が買える。悪くないだろう?」
「悪くはないが・・・・捕虜となった者達は?」
「そうだな。お前が我に逆らわぬ限り、生かしておいてやる。」
ここまでの言質を取った今、孫堅に迷う余地はなくなった。
「分かった。お前の軍門に下る。」
遠呂智の不思議な色合いの目を見上げて告げると、その目が僅かに細められた。
「ふっ、これでお前は我の物だ。即刻、お前を我の城に連れ帰る。異存はないな。」
早急に自分の縄張りに連れ帰ろうとするとは、随分気に入られたものだ。
それが、呉軍に対する寛容さに繋がれば良いと思う。
「ない。が・・・叶うなら、少し息子と話をさせてくれ。」
「いいだろう。」
遠呂智はあっさりと承諾すると、孫堅を踏みつけていた足を降ろし、首筋を捕えていた大鎌も外す。
そして、孫堅が身体を起こす様を、じっと見つめていた。
孫堅は、自身に絡みつく執拗な遠呂智の視線に、居心地の悪さを感じていたが、
ゆっくりと立ち上がると、その視線を振り切るように遠呂智に背を向け、孫策や自軍の兵士達と向き合った。
口惜しそうに、もどかしそうに、自分を見つめるたくさんの視線と出会う。
今にも泣き出しそうな者までいる。
ああ、この世の終わりのような顔をしないで欲しい。
俺も、お前達も生きていて、孫呉の絆は未だ経ち消えてはいないと信じているのだから。
今は、遠呂智の属国に甘んじようとも、必ず再起を果たしてみせよう。
その思いを伝えるべく、遠呂智軍に囲まれて身動きの取れない孫策達の方へと、一歩踏み出した。
しかし、次の一歩を踏み出す前に、遠呂智が孫堅の首を掴み寄せた。
「かはっ・・・・・・ぁ・・・・」
気道が圧迫され、苦しさに喘ぐ。
遠呂智の腕を掴み引き離そうとするが、ビクともしない。
何が、遠呂智の怒りに触れたのかは分からない。
成す術もなく意識が朦朧とし始めた時、遠呂智が孫堅の耳元に唇を寄せ、囁いた。
「我から逃げることは、許さぬ。」
その言葉に、なんとか頷き返すと、やっと首を絞めていた手から解放された。
「はぁ、はぁ・・・はぁ・・・」
息を乱す様を、遠呂智に舐めるように見られているのを感じた。
予想を超えた執着を見せる遠呂智の態度に、背筋に悪感が走る。
無意識に、自分の二の腕を掴んでいた。
そこは、戦闘前に程普を感じた場所で。
もうすでに、心の支えを欲していることを自覚させられる。
これから、単身で遠呂智の懐に飛び込むことになる。
隙あらば、孫呉の再起の道が近付くように立ち回ってやろうというのに、
この程度で、心を乱していては話にならない。
きつく腕を掴み、揺れる心も、乱れた息とともに整えた。
「逃げるつもりはない。息子に近づいて声をかけたかっただけだ。」
「ここからでも、届く。」
遠呂智に向かって、一応弁明を試みたが、譲歩する気はないようで、
仕方なく、そのままの位置で孫策に後を託すと、孫権に孫策を助けるようにと伝えた。
そして、こちらを見つめる兵士達を順に見渡すと最後に、程普で視線を止めた。
程普の目は血走り、血管が切れそうなほどに奥歯を噛みしめ、身体の横で握りしめた手が小刻みに震えている。
程普にとっては、この現状は堪えがたいもののはずだ。
例え、今残っている呉軍全員の命と引き換えにしても、俺を遠呂智から取り戻したいといったところか?
だが、俺がそれを望まないと分かっているから、自分を抑え込んでいるのだろう。
必死の形相でこちらを見つめる程普から、目を離せない。
2人の視線が交わり合い、思いが交錯する。
遠呂智はその様子に気付いたが、孫堅が視線を交わしているのが、容貌も甲冑も武器も地味な壮年の男であることが、腑に落ちなかった。
あの地味な男は、何者なのかと興味が沸いた。
「あれは?」
「俺の右腕だ。」
「奴には声を掛けなくていいのか?」
「必要ない。」
その答えに、遠呂智は何故か苛立ちを覚える。
「まあいい、行くぞ。」
遠呂智は、孫堅の腕を掴むと、戦場から消えた。
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