今朝、周瑜は盗賊狩りに向かう孫策を見送った。
日の高い内は、仕事に追われ、孫策の不在を意識することなく時が過ぎて行った。
だが、夜になって部屋で一人になると、ふとした瞬間に孫策の気配を探してしまう自分がいた。
「静かだな・・・・」
思わず漏れた呟きが、虚しく消える。
記憶をなくしてから、こんなに静かな夜を過ごすのは初めてかもしれない。
いつもより広く感じる部屋の中を見渡すと、ふと目に止まるものがあった。
引き寄せられるように、手に取り輪郭をなぞる。
確か、これは”孫策にもらった笛”だったはずだ。
初めて手に取ったときに、孫策からそう説明されたと記憶している。
その時、吹いてみろよと勧められたが、やんわり断った。
もし、吹けなかったら、孫策の望む音色と違っていたら、失望させてしまうだろう。
それが怖くてその後も、避けていた。でも、なぜか恋しくて。
孫策がいない、今夜ならば以前との違いを案ずることなく、奏でられる気がした。
試しに息を吹き込むと、澄んだ音が部屋に響いた。
音と同時に心まで澄み渡るような気がして、気持ちがいい。
周瑜は窓際に腰掛けると、笛を奏で始めた。
何がしかの曲をというわけではなく、気が向くままに音を連ねる。
笛の音に浸っていると、なぜか心が落ち着いた。
少しだけのつもりだったが、ずいぶん長いこと音を連ねてしまった。
ゆっくりと、笛から唇を離すと、窓の外から拍手が聞こえた。
驚いて、窓の外を見ると、壁を背にして孫堅が立っていた。
「お前の音色に誘われてな。勝手に酒の肴にさせてもらったぞ。」
そう言って、酒を掲げて笑みを浮かべている。
「気付かずに・・・申し訳ございませんでした。」
「いや、邪魔したくなくてな。」
いくら孫堅が気配を消していたとはいえ、これだけ近くにいて気付かないとは不覚だ。
演奏に没頭してしまっていた自分が恥ずかしい。
孫堅の顔をまともに見れなくて、俯いてしまう。
「ははは〜〜、そうだお前も飲むか?」
上機嫌な誘いに顔を上げると、孫堅はいたずらっぽく笑った。
「飲むだろう?」
「はい。いただきます。」
孫堅に差し出された酒に手を伸ばしたが、掴む寸前ですっと酒が遠ざかる。
肩透かしをくらわせれて、ぽかんと孫堅を見つめると、楽しそうに笑っていた。
だいぶ酔っているのだろうか?ずいぶん子供っぽい表情が浮かんでいる。
孫堅は見せつけるように、自分で酒を飲み始めた。
何をしたいのか、理解できない。どう対処したものかと考えていると、孫堅との距離が急に縮まった。
「・・・との?」
疑問に開いた唇が孫堅の唇に覆われる。
唇から酒が流れ込んできた。
「・・・ふっ・・・・・んんっ・・・・」
続いて侵入してきた舌から逃れようと身を捩ると、飲みきれなかった酒がこぼれて首筋を伝った。
首筋を伝う雫の感触にすら肌が泡立ちそうで・・・困る。
孫堅にとっては、酔った故の戯れで、素面の自分が拒まなければと分かっているのに。
さしたる抵抗もできずに、受け入れてしまった。
ゆっくりと離れていく孫堅の唇をじっと見つめる。
酒に濡れた様に、心がざわついた。
「公瑾・・・お前の唇の感触が忘れられなくて・・・もう一度味わってみたいと思っていたんだ・・・」
囁きとともに、孫堅の指が周瑜の唇をなぞった。
「あっ・・・気づいていらしたのですか・・///////・・・」
「ああ。俺が寝ているうちに盗むなど、悪い子だな。」
「申し訳ございませんでした。ですが、今、一度味わったのですから・・・・もう・・・」
唇に触れたままの孫堅の指から逃れるように身を引く。
気付かれていたということに対しての恥ずかしさで、孫堅の顔がまともに見れない。
これ以上踏み込んだら、だめだと分かっているのに、混乱してどうしていいのか分からなくなる。
「だが、一度味わったらもっと欲しくなった。」
唇に触れていた指が、顎を掴み引き寄せる。
孫堅の腕が周瑜の腰にまわり、更に距離が縮まった。
「・・・だめです。酔っていらっしゃるのでしょう?」
やんわりと拒むが、引いてくれる気配がない。
「お前は、俺が欲しくはないのか?」
「お止めください。」
「嫌なら、もっと本気で俺を拒んで見せろよ。」
「・・・・・できません・・・・」
「ならば、止めてやれんな。」
「・・・私は・・・殿をお慕い申し上げております。ですが・・伯符さまに・・」
「・・・・・・・」
「殿のお申し出を受け入れてしまっては、伯符さまにどう説明したらいいのかわかりません」
周瑜が泣き出しそうな顔で言いつのると、不意に孫堅の雰囲気が和らいだ。
逃さぬとばかりに引き寄せていた腕が離れ、代わりにふわりと抱きしめられた。
「すまん。公瑾。こんなことなら、策を盗賊狩りにやるのではなかったな。」
「との?」
「俺が勧めたんだ。盗賊狩りは。」
「何故ですか?」
「お前を心配するあまり、策の行動が少々おかしいと報告があってな。離れて頭を冷やすべきかと思ったんだが・・・
まさか自分の理性がここまで脆いとは、想定外だった。」
「お前への欲望の箍を外す状況を、自ら作り上げてしまった。とても、策には説明できん。困ったぞ。」
「ああ・・・そんな・・・」
「・・・公瑾・・・」
孫堅が周瑜の耳に唇を寄せ、囁くように呼んだ。
「あっ・・・・・」
コトリ。
周瑜の手から笛が滑り落ちた音が、遠く聞こえた。
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