孫堅が立ち去った後の部屋で、周瑜は必死で自分の置かれた状況を考えた。
はじめは、靄がかかったようだった記憶が、次第にはっきりしてくる。
混乱した記憶の糸をほぐすように辿る。
一月前の戦での被雷から昨夜の記憶まで、すべてが一本に繋がった。
だが、記憶を無くしていた間の自分の行動を責める気持ちはなかった。
孫策と孫堅の間で揺れ動いていた自分。
あれは、過去に覚えのある感情だった。
幼いころに抱いた、孫堅への憧れ。
幼さ故に気づいていなかったが、あれが自分の初恋だったのかもしれない。
だが、自分のためにも、孫策のためにも、昨夜のことは無かったことにしてしまいたい。
そして今朝の孫堅の態度を思い返すと、孫堅もそれを望んでいるはずだ。
ならば、自分に昨夜の記憶がないと、孫堅が誤解している状況がありがたい。
私が覚えていないならば、何もなかったのと同じことだ。
周瑜は、立ち上がると自分自身の身体をざっと調べる。
どこにも、昨夜の情事を示すような痕はない。
酔いにまかせて、なだれ込んだようなものなのに・・・・・
気遣ってくれたのだとしたら、さすがだなと思う。
周瑜は、しばし目を閉じると昨夜の記憶をスッパリと断ち切る。
「これで、いいんだ。」
そう自分に言い聞かせると、早く孫策に会いたくなった。
記憶が戻ったことが伝わると、皆「よかったですね」と喜んでくれた。
私の穴を埋めようと、頑張ってくれていた、呂蒙は涙まで流していた。
この一か月、ずいぶん皆に迷惑をかけてしまったのだと、申し訳なく思う。
そして、一番負担をかけてしまった相手は、きっと孫策だろう。
朝一番で、孫策に伝令を送ると、今日の昼過ぎには戻れる予定とのことだった。
もうすぐ、孫策が戻ってくる。
孫策に会ったら一番最初に言いたい言葉は決まっていた。
それは、2人きりの時に言いたい言葉だがら、逸る気持ちを抑えて、孫策を部屋で待つ。
けたたましい足音が次第に部屋に近づいてくる。
勢いよく部屋の扉が開くと、息を切らした孫策が立っていた。
「記憶が・・・もどったって、本当か?」
「ああ・・・・」
「公瑾!!」
孫策は、感極まった声で周瑜を呼ぶと、力いっぱいに抱きしめた。
痛いぐらいの包容に身をゆだねる。
しばらくして、孫策の腕が緩むと、周瑜は孫策を見上げて微笑みとともに告げた。
「伯符、愛している。」
孫策の瞳が潤み、周瑜の肩に顔を埋めるように再び抱きついた。
「・・・俺も・・・・愛して・・る・・・こぉ・・・きん」
顔を埋めたままの孫策の声が揺れている。
「この一か月、伯符に応えることができなくて・・・・ごめん。」
「いいんだ。記憶がなかったんだから、しょうがねぇ。」
「でも、ごめん。」
このひと月の孫策を、雛を守る親鳥のようだと孫堅が揶揄していたが、
今の孫策は、まるで母親にすがる子供のようだ。
周瑜は孫策の顔を上げさせると、涙を溜めた眼尻へと口付けた。
「泣かないでくれ。久し振りに伯符の笑顔が見たい。」
「公瑾・・・」
やっと見せてくれた、孫策の笑顔は涙でぐちゃぐちゃだったけど、
そんな姿も愛しくて、自然に笑みが零れる。
そして、周瑜の笑みに触発されて、孫策にもいつしか晴れやかな笑みが浮かんでいた。
「お帰り。俺の・・・公瑾。」
満面の笑みを浮かべた孫策の言葉に、周瑜は自分の居場所を再確認した。
完。