その日の内には、全軍に周瑜の記憶が戻ったことが伝わった。
皆、「良かったですね。」と安堵を浮かべていた。
特に、周瑜の穴を埋めようと頑張っていた軍師の中には、涙を流して喜ぶ者もいた。
孫策にも知らせを出したから、直に戻ってくるだろう。
これで、全てが元通りに落ち着くはずだ。
安堵と喜びに満ちた雰囲気は、孫堅の執務室にも届いてくる。
「これでよかったのだ・・・・」
孫堅は、思わずそう呟いていた。
「良かったとおっしゃる割には、残念そうですぞ?」
独り言のつもりだったのに返答があった。
ぼんやりしていて、程普がいたことをすっかり忘れていた。
「公瑾が万全の状態に戻ったことは喜ばしい限りだが・・・」
「接吻の記憶に未練が残りますか?」
「そんなところだ。」
孫堅の中に残っている記憶は接吻に留まらない。
でも、未練があるというわけではないと思う。
もう一度、周瑜と深い関係になりたいと、望んでいるわけではない。
ただ、あの記憶が自分だけのものであるのが、少し切ないだけ。
自分だけがみた幻のような気がして、少し寂しいだけ。
だが、周瑜が覚えていても困るので、これで良かったのだという安堵が勝っているはず。
「ならば、早々に断ち切ってしまいなされ。」
「ん〜〜そうだな・・・」
程普の勧めに、曖昧な答えを返していた。
そんな自分の返答に、違和感を覚える。
いつもなら、お前が忘れさせてくれよと、程普を誘っていてもおかしくない。
これでは、本当に未練があるみたいだ。
ああ、俺は未だにあの夜の周瑜の色香に惑ったままなのだろうか?
このままの状態では、困る。
程普の言う通り、早々に思いを断ち切ってしまわなければならないと自覚した。
「殿、先ほど若が戻られたそうですが、お呼びしますか?」
「ん?ああ・・・折角の再会に水を差す必要はない。明日でいいだろう?」
積もる話もあるだろうから、今日ぐらい2人でゆっくりさせてやりたい。
周瑜の記憶が戻って喜ぶ孫策の顔を思い浮かべる。
きっと、零れんばかりの笑顔で周瑜を迎えるのだろう。
そんな孫策の姿を思うと、微笑ましく見守ってやりたいと思う。
それを邪魔する昨夜の記憶も、孫策の笑顔によって霧散していく。
「いいえ。一刻も早く、お会いになるべきです。」
しばらくの間、一人考え込んでいたら、程普に再び孫策に会うことを勧められた。
程普の声は固く、孫堅を見つめる目は真剣だった。
「どうした?なにをそんなに焦っている?」
「引きずるほど、断ち切りにくくなります故。」
その返答を聞いて、ずいぶん心配をさせているらしいと分かった。
だが、会わずとも、脳裏に思い描いただけで、周瑜への未練がいつの間にか霧散していた。
俺は、程普の想像以上に親馬鹿らしい。
「ふふっ、そうだなぁ〜。可愛い息子のためにも、早々に忘れねばな。」
「では、お呼びいたしますぞ。」
「その必要はない。お前が居る。」
「殿・・・・・」
「忘れさせてくれるのだろう?」
縋るように程普を見つめた。
気持ちの折り合いは既についたが、体に燻ぶる熱をそれ以上の情熱で塗り替えてしまいたい。
誘うように目を閉じると、程普の唇が重なった。
「んんっ・・・もっと・・・」
更にと強請ると、角度を変えて何度も口づけられる。
外はまだ日が高く、いつ誰が来るかわからないこの部屋では、程普がそれ以上の行為に及ぶことはない。
だが、これだけでは体の記憶は塗りつぶせない。
「これだけでは、足りぬ。もっと・・・お前が欲しい。」
「今ここででございますか!?」
「一刻も早くと勧めたのはお前だ。」
驚く程普に視線を流したまま、孫堅は部屋にあった衝立に歩み寄った。
衝立の縁を指でなぞり、程普を手招く。
「この衝立の裏ならば・・・どうだ?」
「殿のお望みならば、ワシに異論はございませぬ。」
程普は孫堅に歩み寄ると、一気に距離を詰めた。
孫堅を衝立に押し付けるように身体を密着させた。
日の光の中で、孫堅の乱れる様を存分に堪能できる。
その僥倖に酔う一方で、ある懸念が程普の中に湧き上がる。
口づけの記憶を忘れるためにしては、孫堅の求めは度を越している。
まさか・・・殿と周瑜の間に・・・・
その考えを振り払うように、孫堅への愛撫に没頭する。
しかし、露わになった孫堅の肩に、懸念を裏付けるような、爪痕を見つけた。
その痕を消しさるように、肌を吸う。
「殿・・・・・」
「何も言うな。・・・・言わないでくれ。」
その意図に気付いた孫堅の懇願が、程普の懸念を確信に変えた。
せっかく忠告したというのに、仕方のない方だと、孫堅に気付かれないように苦笑を浮かべると、
程普は問いただすことなく、孫堅の求めに応じた。