本拠地に戻ると、すでに報せは届いていたようで、半信半疑な視線に迎えられた。

「伯符さま・・・・」

周瑜が居心地の悪さに、孫策を呼ぶと周囲が驚きに息を呑む。

「気にすることないぞ、公瑾。ほら、来いよ。」

周瑜は、自分に向けて伸ばされた孫策の手を取り、その手に引かれるまま歩みを進める。

「どこへ行くのですか?」

「まずは、親父に報告に行かねぇとな。他の奴らのことも、後でちゃんと紹介してやるから。」

「分かりました。」

そう応えたものの、背後が気になり、何度も振り返ってしまう。

短い孫策とのやり取りにも、誰にでも明らかに感じられる差異があったのだと思う。

記憶の無い自分が受け入れてもらえるのか、少々不安になった。

背後のざわめきが遠くなり始めたころ、パタパタと少年が駆けてきた。

「兄上〜、公瑾兄ぃ〜、お帰りなさい!!」

「ただいま、権。どうした?親父と一緒に待ってるって聞いたが?」

「父上は、今は時間が取れないので、先に会いに来ました。夕方、執務室に来て欲しいとのことです。」

「分かった。それと、公瑾。こいつが俺のすぐ下の弟の権だ。」

「よろしくお願いします。」

孫権に向かって微笑むと、青い目にじっと見上げられた。

値踏みされているようで、少々緊張する。

繋いだままであった、孫策の手を無意識に強く握り返す。

「やはり、少々雰囲気は変わりましたね。う〜ん。儚さが増したというか・・・。」

コクリと可愛らしく首を傾げてしばらく考えていた孫権が、無邪気な笑顔を浮かべて続ける。

「公瑾兄ぃの不安も分かりますが、その風情に惑う男が続出すると困りますね〜。でも、僕の周泰だけは誘惑したらダメですよ?」

可愛い容貌に似合わぬいきなりの牽制に面食らった。

周泰とは、帰路で少々話しをした。傷の多い大柄な武将だが、誠実で優しい人だと思った。

孫策にからかわれて、眉根を下げる様が、大型犬のようで可愛らしかったが・・・・

”僕の周泰”ということは、孫権のお気に入りなのだろうか?

周瑜の疑問に答えるように、孫策の突っ込みが入る。

「”僕の”って、まだモノにしてねぇんだろ?」

「細かいことは気にしないでくださいよ。時間の問題ですから。」

「うるさく言う気はねぇが、優しさに付込んで無理強いはしてやるなよ。」

「それは、自分のことを完全に棚上げしてませんか?ねぇ、公瑾兄ぃ?」

仲の良い兄弟のやり取りを微笑ましく見守っていたら、急に話題を振られた。

孫権の指が周瑜の着物の合わせ目に伸び、すっと肌に触れる。

孫権が指摘した箇所には、昨夜孫策に吸われた跡が残っていた。

「べ、別に俺が無理強いしたわけじゃねぇ。」

孫策が、慌てて孫権と周瑜の間に割って入り、背後に周瑜を隠すように立ちはだかる。

だが、孫権は孫策を通り越して、周瑜を見つめていた。

「望まぬことを強いられた覚えはありません。」

周瑜がきっぱりと答えると、孫権が安心とも呆れたとも取れるようなため息を付く。

「はぁ〜。そうですか。昨日の今日でもう相思相愛とは、羨ましい限りですね。」

「まあ・・・色々あんだよ。そろそろ、皆のところに戻るぞ。」




孫策は周瑜を連れて、再びたくさんの武将達のもとに戻って来た。

始めは、双方とも戸惑いを隠せない様子だったが、一通りの紹介が済み、雑談を始めると急速に打ち解けていった。

若い武将達が中心なので、周瑜も気兼ねなく話をしているようだった。

この場には、周瑜を慕っている者、好意的な者達を集めてあった。

記憶が無いのを良いことに、普段以上の気安さで周瑜に触れようと試みる者を、牽制する必要は生じたが、

周瑜の不安を和らげる役には立ってくれたと思う。

孫策は、ずっと周瑜の隣に陣取って話の輪に加わっていたが、不意に視線を感じて辺りを見渡した。

少し離れたところまで来ていた、程普と目が合う。

何か、話しがありそうな様子を察して、輪から抜けて程普へと歩み寄ろうとしたが、

僅かな抵抗を感じ、振り返る。

外套の端が周瑜の手に握られていた。

「あっ、すみません。」

自分の行動に驚いたように、周瑜が慌てて手を離す。

「相変わらず、見せ付けてくれますね〜」

からかう武将達に、ニヤリと笑みを浮かべると、背後から周瑜を抱きしめた。

こめかみに音を立てて口付けると、周瑜だけに聞こえるように耳元で囁いた。

「古参の武将の一人に呼ばれてるから、話を聞いてくる。しばらく一人で大丈夫か?」

肯いた周瑜にもう一度口付けると、ヒューヒューと武将達が囃し立てる。

「俺の目が無いからって、公瑾に手ぇ出すなよ!!」

牽制だけは忘れずに、孫策はゆっくりと周瑜から離れた。




程普は、孫堅があと半時もすれば落ち着くはずだと伝えに来たのだった。

忙しさの理由は、周瑜の仕事の軍師や文官達への振り分けと、周瑜隊の再編成の検討で、

途中の状態で周瑜に感づかれたくないから、片付いてから会うことにしたらしい。

孫策が、程普の話を聞きながらもチラチラと周瑜を気にする素振りを見せる。

その落ち着きの無い様子に、程普が苦笑を浮かべる。

「若・・・そう心配せずとも、大丈夫だと思いますぞ。」

「だって、記憶がねぇんだぞ。不安だろ?」

「初めは多少不安もあるでしょうが、記憶がなくても人格が変わった訳ではありますまい。

奴なら、若の保護がなくとも上手くやって行けるはず。」

「うっ・・・俺が過保護だって言うのかよっ」

「まあ、何事もほどほどになされよ。」

程普の助言の意味が分からない訳ではないが、昨日の今日なのだ。

周瑜にとって知らない土地・知らない者達の中に放り出すなんて、やっぱり不安だ。

それに、俺を頼ってくれてる。俺には心を許してくれてるような仕草を見ると、

嬉しくて、どうしても過干渉になる。

程普から開放され、周瑜の隣に戻ると孫策が居なくても話は弾んでいて、確かに問題はないようだ。

だが、孫策の存在を近くに感じることで、周瑜の肩の力が抜けたような気がした。

ああ、やっぱり、干渉しすぎてしまいそうだ。

周りは、すでに周瑜の記憶が戻るまでにしばらく時間がかかっても良いように動いている。

いつまでも俺が周瑜にべったりでは、今の周瑜が新たな居場所を作っていくのを妨げてしまうだろう。

分かっているが、離れがたい。

でもそれは、周瑜に頼られていることに舞い上がっているだけではない。

手を離したら周瑜が自分から離れて行きそうで、掴まえていないと不安になる。

”周瑜が俺を忘れても、何度でも俺に惚れさせてやる。”

昨日はその自信があったはずなのに、どうしたことだろう。

らしくないと思うが、不安は消えなかった。






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