ガラガラガラ、ダダダダ〜ン!!
聞こえてきた大きな物音に、程普は何事かと駆けつけた。
部屋の中には、散らばる竹簡のなかで、折り重なるように倒れこむ孫堅と周瑜の姿があった。
大丈夫ですか?と声を掛けて部屋に踏み込もうとしたが、
起き上がろうとした周瑜の腰を、引き寄せた孫堅の腕の動きに、一瞬躊躇した。
一瞬の躊躇により踏み込む機会を逸した程普は、扉の影から動くことが出来なくなった。
「申し訳ございません。大丈夫ですか?」
周瑜は、己を庇い下敷きになっていた孫堅の上から身体を起こそうとしたが、
引き止めるように腰を引き寄せられた。
間近に覗き込んだ孫堅の瞳には悪戯な色が浮かんでいる。
「あの・・・文台様?」
「ふふっ、このような所を、馬鹿息子が見たら何と言うかな。」
「・・・・”なにしてやがる〜”と慌てて引き離しに来るのではないでしょうか?」
「違いない。では、逆ならどうだ?」
話を続けながら、再び身体を起こそうとするが、引き止める腕の力が緩む気配はない。
孫堅の意図が読めないのと、誰か人が来て誤解を受けたらと思うと焦りが募る。
だが、表面上は平静をたもって話を繋いだ。
「逆?・・・ですか・・・」
「ああ、策がこうやって他の者の腰を引き寄せて甘い雰囲気を醸し出していたら、お前はどうする?」
「問答無用で焼き払いますね。」
「ほぅ。言い訳もさせずにか?」
「言い訳は、35sec後にゆっくりとじっくりと聞いてあげますよ。」
「怖いな。」
「ですが、浮気に見える状況で嫉妬しないの・・・・」
いきなり視界が反転し、言葉が途切れた。
床に押し倒される格好になり、上から乱れかかる孫堅の髪で、紫色の檻に閉じ込めらたように感じる。
本能的に逃れようと身を捩ると、予想以上に強い力で押さえ込まれ、驚いた。
今まで孫堅が戯れを仕掛けてくる時は、必ず孫策が止めに入れる状況下であったと記憶している。
まさか、本気なのだろうかと一瞬、身体が強張った。
だが、探るように周囲に視線を巡らせると、入り口に人の気配を感じた。
扉の影から僅かに覗いている肩は、見覚えのある人物のもので、
今まで不明だった、孫堅の質問と行動の意図が結びつく。
周瑜は、ふっと身体の力を抜くと、頬に掛かる孫堅の髪を引き寄せ、耳元に唇を寄せた。
「文台様・・・・嫉妬を、させたい相手がいらっしゃるのでしょう?」
「ばれたか・・・」
互いに頬を寄せ合い、まるで睦言を囁き合っている様に見えるのを承知で話を続けた。
「ですが、文台様の行為を咎めるようなことは、出来ないのではないでしょうか?」
「う〜ん。さすがに、”何をしているのですか!!”と怒鳴り込んでくるとは期待していないが、
”すみません、お邪魔でしたかな?”とか言ってさり気なく踏み込んで来るぐらいしてもいいだろう?」
「ですが、踏み込んで来られる気配はありませんね。」
少々意地悪に囁くと、カリっと耳を噛まれた。
続いて耳から首筋へと辿る唇に甘い吐息で答え、孫堅を引き寄せるように腕を回した。
「あっ・・・・文台さま・・・・」
「ふっ・・・悪い子だな。」
「程公を妬かせたいのでしょう?」
「だが、そのように甘い声で誘われたら、本気でお前を食べてしまいたくなる。」
ふわりと唇に、触れるだけの接吻が落とされた。
至近距離で見上げた紫色の瞳に吸い込まれそうになる。
ご冗談をと、笑って答えればいいはずなのに、不用意な沈黙が生じてしまった。
「・・・・・・・・」
「・・・・公瑾」
己を呼ぶ声音にも、視線にも、普段とは異なる熱を感じる。
孫堅の発する魅力に意識が絡め取られていく。
僅かでも抵抗を示せば、引いてくださると分かっているのに、ゆっくりと近づく唇から逃れることができない。
「あぁ・・・・・だめ・・・・」
唇が重なる直前に、やっと搾り出した拒絶の言葉も、逆に誘っているように響く。
言葉を発したために開いた唇の間で、吐息が交じり合った。
ガタリ
入り口から聞こえた物音に、孫堅が弾かれたように身体を起こす。
「誰だ?出て来いよ。」
扉に向けて誰何する寸前、孫堅がニヤリと笑みを浮かべたのを見た気がした。
「・・・・・殿・・・・」
「何か用か?」
「いえ・・・・」
「・・・・・・・・」
「お邪魔なら、直ぐに退出致します。」
「・・・・・まあいい。これを、拾え。」
孫堅は程普に床に散らばった竹簡を示す。
孫堅が不機嫌な声音で高圧的に命じる姿を見るのは初めてかもしれない。
始めは、不機嫌さを装っていたように見えたのに、本当に機嫌を損ねてしまったようだ。
なんとなく、程普の返答に対して拗ねていらっしゃるのかなと思った。
珍しい横顔をまじまじと見つめていると、すっと手が差し伸べられた。
孫堅の手を取り立ち上がる。
「大丈夫か?公瑾。怪我はないな。」
「はい。おかげ様で。」
「それは、何よりだ。」
優しく微笑む孫堅は、程普が拾い終えた竹簡を受け取ると周瑜に手渡した。
「これで、足りないものはないかな?」
「はい。」
「気を付けるんだぞ。」
孫堅はふわりと周瑜の額に口付ける。
「ありがとうございました。」
自分と程普に向けられる、態度の差に、そっと程普を盗み見たが、
表面上は不満も嫉妬も浮かんでいるようには見えない。
あからさまな態度の差で孫堅の意図に気付いたのか、それとも腹の中では嫉妬が渦巻いているのを押さえ込んでいるだけか。
少々、気にはなるが、
この先は、自分がいても邪魔になるだけだと、周瑜は促されるままに退出する。
念のため、開け放たれていた扉はきっちりと閉めておいた。