「はぁ〜。思ったより痕が残っているな。」
翌朝、目を覚ました孫堅は、乱れた胸元から除く複数の鬱血の痕をみて、溜息をもらした。
昨夜、遠呂智に酒まみれにされたところを、舐め回されたときの名残だ。
遠呂智は繰り返し肌に強く吸いつき、その痕跡を刻むことを楽しんでいた。
”我の痕跡が消えることがないよう、頻繁に愛でてやろう”
そう言って、肌に散る赤い痕を満足げに見下ろしていた姿を思い出す。
昨夜の不快感が甦り、襟をしっかり合せて視界から隠した。
この肌に残る遠呂智の痕跡を見つけたら、程普はどんな反応をするだろうか?
不意に、そんなことを思う。
真っ赤になって怒るだろうか?
それとも、真っ青になって悔しさに震えるのだろうか?
近々、解放される気配もなければ、逃亡を図れそうな機会もなく、程普と顔を合せる日は遠い。
でも、遠呂智の行為に、俺以上に憤りを露わにするだろう姿を思い浮かべると、少し胸がすっとする。
そんなふうに昨夜の不快感を昇華していると、突然、ザワザワザワザワと窓の外が、騒がしくなった。
「はぁ〜い。孫堅さん。元気ぃ?」
続いて聞こえてきた、妲己の声に顔を上げて窓をみると、そこには妲己と共に程普がいた。
「程普!?」
「殿!!」
頭の中で思い浮かべていた相手が、いきなり目の前に現れて、驚きで言葉が続かなかった。
何故、程普が此処にいる?
遠呂智の意図は読めないが、もっと近くで言葉を交わしたくて、窓に歩み寄る。
しかし、あと数歩という所で、背後に遠呂智が出現した。
遠呂智は当然のように、孫堅の腰を左腕で捕えて引き寄せる。
「会いたかったのだろう?この男に。」
「何故、そう思う?」
「覚えてないのか?昨夜、我の腕の中であの男の名を口にした。」
全く覚えていない。でも、強い酒の臭気に酔って、意識が朦朧としていたから否定もできない。
不用意に程普の名を漏らしてしまったのだとしたら、俺の不覚だ。
遠呂智を楽しませるようなネタを自ら与えてしまったのだから。
「これは、褒美だ。孫堅。」
そう言って、遠呂智が孫堅の耳に唇を寄せる。
囁いたついでのように、唇が耳朶を食んでいく。
「褒美だと?」
程普に見せつけるように触れてくる遠呂智に対して、なるべく平静を保って聞き返す。
遠呂智が二ヤリと笑った気配がして、遠呂智の右手が懐に差し入れられた。
衿を乱すように、大きく胸を撫でた手が、昨夜の痕を辿った。
その痕に気付いた程普が顔をこわばらせた。
「昨夜、我を楽しませた褒美だ。」
肌に残した痕跡を見せつけ、昨夜の行為を匂わすようなことを言う。
遠呂智は、俺を支配下に置いていることを見せつけて、程普の反応を楽しむつもりなのだろう。
すまん。程普。
俺の不覚のせいで、お前まで遠呂智の戯れに巻き込んでしまう。
怒りに燃える程普の視線が遠呂智に突き刺さる。
それを、遠呂智は存分に楽しんでいるようで、更に追い打ちを掛けるように触れてくる。
胸を撫でまわしていた手が首から肩に沿って滑る。
衿が大きく肌蹴て、露わになった肩に、遠呂智が舌を這わせてくる。
反射的に身を捩ると、咎めるように肩に歯を立てられた。
「っ・・・・あ・・・・うっ。」
噛まれた所を、舌で弄られて、思わず声が漏れる。
背後の遠呂智にはもちろん、たった数歩の距離しかない程普にも聞こえたことだろう。
「クッククッ、程普とやら、お前の主は美味であるな。」
遠呂智が楽しそうに笑い、再び孫堅の肩に噛みついた。
窓の格子を掴む程普の手は、血管が浮き上がり、憤りを堪えるように震えている。
「くっ・・・う・・・・・」
程普が、言葉にならない唸り声を洩らす。
恐る恐る視線を上げていくと、程普と目があった。
こんな状況、見るに堪えないだろうに、程普は目を反らすことなく俺を見ていた。
「あぁ・・・・俺を・・・・・・」
”見るな”そう続くはずだった言葉は発することなく消える。
こんな姿を見せたくない。でも、目を反らされたら、見放されたように感じてしまう。
何も言えずに、ただ縋るように程普を見つめた。
「遠呂智様。何卒ご慈悲を賜りたく存じます。」
しかし、その視線を受けて程普が取った行動は、孫堅にとっても遠呂智にとっても予想外のものだった。
程普は、怒りも悔しさも飲み込んで、遠呂智に頭を下げていた。
「ほう。慈悲とな。」
「殿に対して、人前でのご無体は何卒ご容赦を。そして、叶うならば、殿と話す機会を戴きたい。」
「人前でなければ、良いのか?」
遠呂智の意地悪な問いにも、薄く笑みさえ浮かべて受け流す。
「多くは望みませぬ。」
完全に憤りを飲み込んで、動じない程普を見て、遠呂智は一気に興がそがれたようで、
「ふん。まあいい。妲己、あとは任せる。」
妲己に声を掛けると、その場から消えた。
「う〜ん。一応、ご褒美だしねぇ〜、ちょっとだけよ。孫堅さん。」
妲己は窓から一番遠い位置まで下がると、程普と孫堅に背を向けた。
完全に2人きりという訳ではないが、そういう状況を作り出そうとしてくれる妲己の心遣いに感謝する。
孫堅は窓まで歩みよると、格子を掴む程普の手に触れた。
「すまん。お前を巻き込んだ。」
「いいえ。ワシのことなど。殿こそ、あまり無理をなさいますな。」
「俺は大丈夫だ。」
「大丈夫な状況には見えませんでしたが。」
程普は、少し困ったように微笑んだ。
それは、そうだろう。
あれだけ、遠呂智に好きにされているところを見られているのだから。
でも、大丈夫と言った言葉は嘘じゃない。
俺の置かれ状況が、呉軍に知れて、士気や求心力が下がってしまうというのなら問題だ。
しかし、お前ならばその心配は無用だ。
「なぁ、程普。俺が遠呂智に組み敷かれていたら、お前にとって俺の価値は下がるか?」
だからこそ、聞ける。
「まさか!!ワシの思いはそのようなことでは揺らぎません!!」
そして、信じていた通りの答えが返ってくる。
「分かっている。だから、大丈夫だ。」
そうなると残る問題は、俺の心ぐらいだ。
踏みにじられる自尊心も、拭いきれない不快感も、瑣末ことだと割り切って、強かに立ち回ってみせよう。
「ああ、殿。今すぐにでもここから貴方を連れ出したい。」
「程普っ」
感極まったような様子を装って、格子の間から程普に腕を伸ばしその身体を引き寄せた。
格子の隙間から頬を寄せあい、程普の耳に唇をつけると、妲己には聞こえないほどの小声での会話が可能になる。
「この場所は分かっているのか?」
「いいえ。まだ。分かり次第、救出の計画を。」
久しぶりに感じる程普の唇や吐息の感触が耳や頬をくすぐる。
その感触の懐かしさに浸りながらも、会話は淡々と交わす。
「だが、捕虜となった呉の武将達を残して、俺だけが逃げることはできん。」
「心得ております。」
「孫策がだいぶ、不貞腐れているようだな。」
「はい。若の気持ちも分かりますが、今は堪えていただかねばなりません。」
「抑えられるか?」
「なんとか。周瑜が居れば多少違うのでしょうが。」
「そうか・・・・俺が戻るまで、孫策と呉軍を頼む。」
”戻るまで”と、必ずお前達の所に戻るんだという思いを込めて告げた。
「はい。殿。」
そこまでの会話を終え、ゆっくりと身体を離した。
名残惜しさに、黙ったまましばらく視線が交り合う。
しかし、その交わりを断ち切るように、程普の肩に妲己の手が添えられた。
褒美の時間はここまでということだろう。
程普が孫堅の手を取り、指先に口付けを落とした。
「殿、どうかご無事で。」
そう告げた、次の瞬間、妲己と共に程普の姿もその場から消えた。
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